やっぱり浦和レッズが大好き☆自分の好きなこと(6)

サッカー関係

おはようございます。民宿美味し宿かどやのガクです。

社会人生活の中でダイビングをしたりマラソン、水泳、トライアスロン、色々なチャレンジをしていましたが、土地柄もう一つ大きな出来事がありました。

浦和に住むということ

サラリーマンとしての赴任地が浦和だったということ。

このことは私のその後の人生を大きく変えることになりました。

浦和のまちサッカーのまち”浦和”

私が赴任して2年後にJリーグが始まりました。ご存知の方も多いかと思いますがスタート当時、浦和レッズは「Jリーグのお荷物」と言われるほど弱かったです。あまりの弱さに”浦和”という地名のネームバリューは一気に高まりました。どこに行っても

「どちらからいらっしゃいましたか?」

私「埼玉県の浦和です」

「ああ、あの・・・(サッカーの弱い)」

といった感じの会話があったように思います(苦笑)。

あまりかっこいいものではありませんでしたが、転機となったのが1995年でした。そう、ホルガーオジェック監督、ギド・ブッフバルト、ウーベ・バインという1990年ワールドカップを制覇した西ドイツの主力が加入、万年最下位だったクラブが一気にファーストステージ3位まで駆け上がった年です。

浦和レッズ当初の順位弱小クラブが急に躍進したのが1995年でした!

毎朝、営業に出かける車の中で聴くNack5(埼玉県内で流れるFM放送)。大野勢太郎のウォーミングアップミュージックのレッズのコーナーを聴いていました。徐々に浦和を再生させていくオジェックのことを「ドクターオジェック」と呼び、日々の処方箋を解説。ワクワクしながら聴いていた日々が懐かしいです♪

私が浦和に住んでいた頃は、決して強くありませんでした。そんな中で、ホームの駒場スタジアムは歩いていける距離。あの当時のゴール裏も体験することができました。

1998年に乗っていた車1998年に私が乗っていた車
三菱シャリオグランティス

この年のスーパールーキー小野伸二のレプリカと日本代表野人岡野のTシャツとともに(笑)。1998年といえば、フランスワールドカップの年。前年、ジョホールバルの歓喜でレッズの野人岡野が一躍ヒーローとなった年です。

本気でレッズを追いかけた2007年

関西に帰ってきてからも、万博や長居、神戸ユニバ、西京極等関西アウェーでの試合には積極的に足を運んでいました。といっても、ファンとしての立ち位置。ゴール裏でガンガン応援することはなかったのですが、転機となったのは2007年のACL(アジアチャンピオンズリーグ)への出場。埼玉スタジアムで行われた4月以降の試合と東アジアで開催されたアウェーの3試合(中国1回、韓国2回)にはゴール裏のサポーターとして足を運びました。

上海にて上海にて~晩御飯を一緒に食べたサポ仲間と

そういえば、このお店でカエル料理を食べましたf^^;

韓国全州にて韓国全州ワールドカップスタジアムにて

ソウルから全州まではとても遠く、列車も走っていません。そのため、SNSで有志を募ってバスをチャーターしました。2007年の時点でSNSを活用していましたf^^;

城南一和戦アウェーにて韓国城南市、城南一和戦アウェーゴール裏にて

発煙筒も登場し、ものすごい雰囲気のアウェーゴール裏でした。

この時、どうやら私のすぐ近くの方が動画に撮っていたようで、YOU TUBEに残っています。どうやら、私の声も入っています。(笑)

この東アジアでの3試合でサポ仲間がものすごーくたくさんできました。今でもFacebookでつながっていたり、毎年かどやまでカニを食べに来てくれるお友達もいます(笑)。

この大会、埼玉スタジアムで行われたホーム準決勝城南一和戦は私にとっていまだベストマッチ、忘れえぬ試合です。最後延長PKまでもつれ、PKの際のゴール裏のサポートが今でも語り継がれている試合です。

この試合の観戦記を当時やっていたmixiにUPしていましたので、そのまま転記します。

ホームソンナム戦備忘録
2007年10月26日00:26

ホーム城南一和戦

忘れないうちに観戦記を書いておきます。

ワシントンの先制点という最高の形での前半。
前半だけに関して言えば、ソンナムにアウェーで見た時のような怖さはありませんでした。

うまいことはうまいのです。でも立ち上がり、ソンナムの選手たちはスタジアムの雰囲気にのまれていたようにも思いました。
それこそ我々の思惑通りだったんですけどね。

そんな中、正直前半のうちにもう1点ほしかった!

あの流れならばとれたと思います。

試合全体を通してソンナムのセットプレーは全然怖くありませんでした。これには助かりましたね。
むしろ、相手のセットプレー(特にコーナーキック)がこっちのカウンターのチャンスになるんじゃないかって思うぐらい。

怖いのはソンナムのカウンター攻撃。案の定後半それで2失点しちゃったんだけど。

個人的にはドン引きで守勢一方になるよりも、カウンターのリスクを冒してでも今回のように攻めて行ったのは正解だったと思います。

そのカウンターをしっかりと決めてしまうソンナム。やっぱ強かったですよね。

こちらにも問題はあったかと思いますが、やはりあそこでしっかり点をとってくるソンナム。強い相手でした。

この試合、間違いなくアジア最高峰の試合だったと思います。

120分間の戦いで、選手と同様我々もしんどかったけど…

正直、延長中の30分、このハイレベルな戦いを更に30分余計に見られる喜びというのも感じていました。

不謹慎かもしれないけど。

そう感じるぐらいフットボールとしても素晴らしいものだったんじゃないかな。

まあ、レッズが勝ったからこそ言えることかもしれないけど。

でも、勝てるって信じてましたけどね。延長中にレッズが得点して。

延長中はレッズ側も足が止まってきている選手も多かったけど、ソンナム側もフィニッシュの精度がなかったように思います。

なので、カウンターだけ注意すれば点は取られないだろうと。

PKになるとまでは正直思っていませんでした。
そこまでに決めてほしかった。

長い長い戦いでした。

皆で勝ち取った決勝進出。負けている時も決して応援のテンションは落ちていませんでした。

最後のPKは、サポから、スタジアム全体から、レッズに勝たせようオーラが出ていたと思います。

デカ旗が北に全部移動してくる姿は圧巻でした。

特にPK直前、事前打ち合わせがあったわけでもないのに再度ビジュアルを掲げる。

ACLを通して、クラブも選手もサポも進化、成長しているよね。

皆が個々に“勝つために自分が何をすべきか”を考えている。

もっともっとその意識を持つサポが増えればこの強さ、盤石なものになってくるんだと思う。

勝ちに行く気持ち。選手だけじゃなく俺たちもレッズなんだ。

We are Reds!

という言葉の本当の意味をまたかみ締めることのできた、最高の戦いでした。

最後に…

120分の長丁場、前日に足つぼマッサージに行って足をほぐしておいてよかった^^;
明日も羽田空港でやってもらおうかな。^^;;

デカ旗の下ゴール裏、デカ旗の中はこんな感じ

文章からかなりコアなサポーターやっていたことが伝わってくると思います(笑)。

2007年ACL決勝にてホーム決勝セパハン戦にて

浦和美園駅から埼玉スタジアムまで、上記のチラシが至る所に貼ってありました。もう、試合前にものすごーいテンションあがりました。こういった行動を誰彼ともなく利他的に行うのがレッズサポーターです。

優勝時に配布

今年は久しぶりのACL決勝トーナメント進出。個人的にはACLほど面白い戦いはないと思っています。さすがに追っかけはもうできないかもしれませんが、今年は久しぶりに浦和レッズで楽しめそうです。

いやぁ~自分の好きなことシリーズ最長、3千文字を超える大作となってしまいました。やっぱり浦和レッズが大好き、なんですね。

 

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どうしよう・・・5月25日空いてるやん♪

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